History
1947年3月3日、当時の日本を代表する総合化学品メーカーであった
日窒コンツェルン中核企業の若き人材たちにより、
積水化学工業の前身「積水産業株式会社」が誕生しました。
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1947
プラスチックの総合的事業化を目指し、積水産業株式会社として発足
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1948
奈良工場開設(~1957)
日本初のプラスチック自動射出成形事業を開始社名を積水化学工業株式会社に改称
【社章】
創業時の社名「積水産業」の頭文字である3つのSを亀甲マーク(化学記号ベンゼン)の中に配して水の字をかたどったもの大阪工場開設(~1971)
当時PVAやセロハンテープなど製造
Tips_1940s
念願の工場がいよいよ稼働開始。新素材の成形品を世に送り出す。
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1950
大阪阪急百貨店で開かれた「プラスチック展覧会」にセロハンテープ試作品を展示
開発のヒントはアメリカの雑誌記事
補修の必需品となった「セロハンテープ」セキスイの代表的な製品の一つである「セロハンテープ」は、1950年から製造された。開発のきっかけは雑誌の小さな記事だった。以前から、アメリカ駐留軍が持ち込んだ封筒に張りつけてあるセロハンテープに注目していた当社は、その製造方法を研究していたのである。
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1952
京都工場開設
塩化ビニル管「エスロンパイプ」の本格製造開始プラスチックの新たな世界を拓く塩ビ管がいよいよ登場
日本初の塩ビ管量産に成功した京都工場。1954年7月には塩ビ管にJIS規格が制定され、1955年3月にはJIS表示認証工場に指定された。
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1953
東京工場開設(~2015)
プラスチック成形品の製造開始、関東地方の供給源となる当時の東京工場。「エスロンパイプ」は、塩ビ管の代名詞になるまでに浸透し、成形品と並ぶ事業の柱になる。1955年には、金型製作も開始した。
大阪証券取引所に上場、1954年には東京証券取引所にも上場
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1955
塩ビ管継手の射出成形に成功
東京都水道局より指定認証を受け、「エスロンパイプ」普及に大きな役割を果たす社歌制定
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1956
日本初のプラスチック製雨とい「エスロン雨とい」開発
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1957
奈良に新工場開設、旧奈良工場の成形設備移設
東洋一(当時)のプラスチック成形工場となるポリエチレン製バケツ「ポリバケツ」発売
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1958
合わせガラス用中間膜「S-LECフィルム」生産開始
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1959
「3S精神」を正式に社是として制定
Tips_1957
花嫁に喜ばれるブライダルの定番品とは?なんと「ポリバケツ」!
今はどこでも見かける「ポリバケツ」だが日本に初登場した昭和30年代前半には花嫁さんの支度品に数えられる最新の生活グッズだった。実用的でしかもスマートな贈り物として人気を呼んだ。
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1960
滋賀栗東工場開設
滋賀水口工場開設
“セキスイハウスA型”の試作が完成、ハウス事業部が発足
同年、積水ハウス産業株式会社(現 積水ハウス株式会社)に分社化 -
1961
中央研究所(現 高機能プラスチックスカンパニー開発研究所)を大阪・水無瀬に開設
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1962
武蔵工場開設
創立15周年記念キャンペーンとして“町を清潔にする運動”スタート、プラスチック製ゴミ容器「ポリペール」による清掃革命が全国的にひろがる
Tips_1962
創立15周年キャンペーン「町を清潔にする運動」を開始
「一千万人の手で東京をきれいに」のスローガンのもと、首都美化運動を展開し、ポリペールの普及を後押しした。積水化学も、当時としては画期的なシリーズ広告で街の美化を訴求。公共性とも結びついた販促活動は、多くの自治体で反響を呼んだ。ポリペールは大ヒット商品となり、“清掃革命”と賞賛された。
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1963
国産第1号のFRPプレス成形浴槽「セキスイバス」の製造開始
日本の製造業の米国進出第1号、米国ペンシルベニア州に発泡ポリスチレンペーパーの製造を行う SEKISUI PLASTICS CORPORATION設立
Tips_1963~
スポーツ活動の歴史
当社では早くからスポーツ活動が盛んだった。1960年にはボート部が日本実業団選手権フォアの部で優勝、卓球部は実業団の大会で1962、63、65年と優勝。また、野球部は都市対抗野球で1963年に京都市代表として優勝した。1990年代にも、女子バスケットボール部が1993年に日本リーグ1部に昇格し、陸上競技部(男子)が1994年に発足(~2002年)、そして女子陸上競技部が1997年に発足し、同年鈴木博美選手が世界陸上アテネ大会の女子マラソンで優勝、2000年には高橋尚子選手が2000年のシドニー五輪の女子マラソンで優勝した。
Tips_1963
日本の製造業として米国に初進出
1963年、積水化学は、米国のペンシルベニア州に発泡ポリスチレンペーパーの製造を行うSEKISUI PLASTICS CORPORATION(SPC社)を設立。同年、シンガポールにスズ鉱山用水や水道用パイプの製造を行うSEKISUI MALAYSIA CO.LTDが設立されるなど、以後、1970年代半ばまで積極的に海外進出を進めていった。
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1964
徳山積水工業株式会社設立
塩ビ樹脂の製造開始
Tips_1960s
国内での現地化推進
1961年まで続いた景気拡大期が終わり、地域に根ざした製品開発や輸送コスト削減などの業績改善目的とし、1962~1963年にかけ日本国内の各地域に生産事業会社を設立。これが現在の国内の各生産事業会社のルーツになっている。
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1965
創立後初めての減収・赤字・無配
1967年に半額減資を実施
Tips_1965
苦境Ⅰ
創業以来、業容を拡大してきたが、過剰な設備投資や急増した金利負担が経営を圧迫。加えて不況による販売不振、過剰在庫の追い討ちで1965年9月期(当時は年2回決算)に、創立以来初めての減収、赤字決算、無配となり、1967年には半額減資を実施した。しかし、この苦境をバネにして、1968年にはソフトロン事業(フォーム)が誕生し、1970年にはユニット住宅「セキスイハイム」を発表するなど、現在でも積水化学グループを支える大きな事業が芽を出した。また、これら以外でも、スプリットヤーン(延伸技術を活用した繊維)や、プリンテル(合成紙)などの先進的な素材を生み出すなど、さまざまな基礎技術は財産となり他事業に活かされていった。
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1967
「セキスイてんと虫まつり」を各地で開催
「こんなものが欲しかった!」数々のヒット商品で反響を呼んだ
日本では、品質の高い家庭用プラスチック製品のシンボルとして定着。セキスイブランドは家庭用品のトップメーカーとしてゆるぎないものになっていった。
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1968
発泡ポリオレフィン「ソフトロン」事業スタート浴室用スノコは当時大きな人気を博した
Tips_1968
積極的海外展開期Ⅰ
1968年にスタートしたソフトロン事業(フォーム)は、国際的にも高い評価を受け、1969年には米国企業との合弁によりVOLTEK社を設立。続いて1971年にはスイスにALVEO AGを設立し、ヨーロッパ進出の拠点となった。このほか、1971年には中間膜のSEKISUI S-LEC MEXICO、1974年には雨といのSEKISUI ESLON B.V.など、現在も積水化学グループのグローバル展開を支えるグループ企業が誕生していった。
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1970
「東京国際グッドリビングショー」にユニット住宅「セキスイハイム」を出品
セキスイハイム誕生
1970年、セキスイハイム第1号商品「セキスイハイムM1」を開発。工場生産率80%を超えるユニット工法による、高品質、高性能、コストパフォーマンスの高さを実現したセキスイハイムは、良質安価な住宅の供給が急がれていた日本の住宅業界において、たちまち脚光を浴びることになる。1970年の「東京国際グッドリビングショー」で初登場し、翌年、発売されたセキスイハイムは、1974年には累積受注が1万棟を突破。発売から3年で大手プレハブ住宅メーカーの仲間入りを果たした。
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1971
「セキスイハイム」発売、住宅事業に本格進出
まずは首都圏の住宅需要をねらえ!東京・神田に第1号の展示場
セキスイハイムはすでに新聞やテレビで話題になっていたこともあり、連日大勢のお客さまがつめかけた。
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1972
本社が堂島関電ビルへ移転(現在の大阪本社)
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1974
合成木材FFUの本格生産開始
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1975
強化プラスチック複合管
「エスロンRCP」発売 -
1979
プラスチック微粒子「ミクロパール」を商品化
中央研究所内にてメディカルプロジェクト発足
製造から販売・サービスにわたる 品質管理の最高栄誉賞「デミング賞実施賞」受賞
Tips_1970s
万博会場を地下で支えた縁の下の力持ち。その名は「エスロンパイプ」
1970年、世界の注目の中、大阪・千里丘で開催された「日本万国博覧会」。「エスロンパイプ」は地下から会場をしっかり支えていた。会場で使われた水は、飲み水から樹木散水用まで、すべての送水を「エスロンパイプ」が担当。会期中約6422万人の入場者を集め大成功を収めた万博に、セキスイの技術も貢献していた。
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1981
東京・大阪両社本社制へ
東京の虎ノ門に東京本社を設置 -
1982
群馬工場開設
木質系ユニット住宅「ツーユーホーム」を仙台で発売
1984年から全国展開「木の家を作ろう」ツーユーホームがこうして誕生
和風の発想を取り入れた木質系の工業化ユニット住宅。81年に(株)東日本ハイム製作所内に、月産150ユニットの工場が新設され、上市に向けての具体的な検討が始まった。翌年には「ツーユーホーム」と名付けられた新製品のモデル市場として仙台が選ばれ、テスト販売を実施。約2年間の販売を通じて、生産、施工のノウハウを蓄積してきた。
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1985
世界初となるプラスチック製真空採血管の販売開始
世界初のプラスチック製真空採血管「インセパック」
落としても割れないプラスチック製採血管「インセパック」。院内感染を防止する意味でも注目された。
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1986
管路更生工法「SPR工法」開発
オランダのリブロック・システムズ社から製造技術を導入し、SPR工法として完成させた。将来のインフラ老朽化を見据えた先進的な取組みだった。
Tips_1980s
事業分野のさらなる開拓
高度経済成長期から、主に電化製品向けの外装用部品の供給などに取り組んできたIT(エレクトロニクス)分野では、1987年に応用電子研究所(現:R&Dセンター)が開設され、それまでの技術の蓄積をベースに最先端の研究開発の強化に乗り出した。
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1990
住宅綜合研究所(現 住宅技術研究所)開設
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1992
京都技術センター(現 京都研究所)開設
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1995
住宅事業25周年記念商品として3階建住宅「デシオ」を発売
戸建初のホームエレベーター標準搭載日本発のポリエチレン配水管を開発・製造
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1996
住宅リフォーム事業(ファミエス事業)に本格進出
資本金1000億円を突破
新コーポレートロゴ制定
Tips_1996
新コーポレートロゴ誕生!
創立50周年を記念して、1997年より英文字ロゴを一新した。新しいロゴは、従来よりもやわらかいイメージで、人と自然環境の中でこれから求められるやさしいモノづくりの姿勢を表現している。赤丸を包み込むEが共存共栄への意思を語り、当時のスローガンの「一緒に暮らそ。」ともマッチ。
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1997
太陽光発電システム搭載住宅の発売開始
女子陸上競技部創設
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2000
シドニー五輪女子マラソンで高橋尚子選手が優勝(日本女子陸上初)
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2001
熱膨張耐火材「フィブロック」を発売
カンパニー制スタート
(現在の住宅カンパニー、環境・ライフラインカンパニー、高機能プラスチックスカンパニー)
Tips_1998~2001
苦境Ⅱ
住宅バブルがはじけ、営業利益が600億円を超えていた1996年度のわずか2年後の1998年度に営業赤字に転落。その後の世界的なIT不況もあり、2000年度、2001年度にも営業赤字になった。2001年にカンパニー制をスタートするとともに、緊急経営施策を実施。固定費削減、生産規模の縮小、早期退職制度導入などの構造改革を断行した。これにより事業の選択と集中、経営の意思決定スピードアップを図り、2002年度に営業黒字化。以降、新たな成長へと歩を進めた。
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2002
創立55周年記念事業
「積水化学 自然に学ぶものづくり研究助成プログラム」創設 -
2003
セキスイハイム第1号商品「M1」が「日本のモダニズム建築100選」に選定
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2004
住宅介護サービス業を開始(セキスイオアシス(株)設立)
Tips_2000s
CSR経営~事業を通じて社会へ貢献~
自然に学んだ基礎サイエンスの知見を活用しようとする大学・研究機関の研究活動支援を目的とした「自然に学ぶものづくり研究助成プログラム」は、2002年の創立55周年記念事業として始まり、以降、毎年実施されている。(写真は合わせて開催される「自然に学ぶものづくりフォーラム」)
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2006
第一化学薬品(2008年より積水メディカル(株)に)が積水化学グループ入り、メディカル(検査薬)事業強化
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2007
創立60周年プログラム「世界こどもエコサミット」
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2008
多賀工場を開設(積水フィルム(株)多賀事業所を積水化学に移管)
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2009
住宅事業が海外本格進出(タイに住宅生産・販売の合併会社設立)
Celanese CorporationグループからPVA樹脂事業を譲り受け、SEKISUI SPECIALTY CHEMICALS AMERICA ,LLC、SEKISUI SPECIALTY CHEMICALS EUROPE ,S.L.設立
Tips_2000s
積極的海外展開期Ⅱ
苦境を脱した2002年以降、新たな成長に向け、積極的なグローバル展開を図った。2002年に中国・青島に給水用管材事業の合併会社を設立し、伸張著しい中国に本格進出し、翌年には中間膜事業やメディカル事業(真空採血管)も中国に拠点を設けた。また、中間膜事業では、1997年にオランダ、2002年にタイ、2004年に中国、2007年に米国と相次いで製膜工場が稼動。メディカル事業でも、2010年にGenzyme Corporationから検査薬事業(現 SEKISUI DIAGNOSTICS)を譲り受けるなど、欧米における事業を拡大した。
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2011
住宅事業の生産・販売一体化体制を構築
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2012
創立65周年記念「世界こどもエコサミット」を開催
こどもたちの提案を受け、「SEKISUI環境ウィーク」「最もエコな人」制度を設立
Tips_1972~
環境経営の進展
日本では大気や水質の汚染などの公害問題が1950年代から社会問題化。当社では、1972年に「環境管理部」を設置し、環境マネジメントシステムやゼロエミッション活動を推進するなど全社的に環境負荷低減を図ってきた。さらに、2003年には環境のリスク管理にとどまらず、経営の軸として考え、施策展開を行う「環境経営」組織へと進化していった。製品に関しては、開発・設計段階から環境への配慮・貢献を検討するために、1993年には「製品環境影響評価」制度を導入し、2003年にはお客様のところで高い環境貢献効果を発揮する製品の登録を行う「環境貢献製品」制度を設け、その創出と拡大を図ることでエコロジーとエコノミーの両立を目指している。
1972
「環境管理部」設置
2000
初の工場ゼロエミッション達成(滋賀水口工場、九州積水工業、積水フィルム多賀工場)
2003
「環境経営推進部」設置
2006
「環境貢献製品」制度導入
2012
創立65周年記念
「世界エコサミット」を開催
こどもたちの提案を受け「SEKISUI環境ウィーク」「最もエコな人」制度を設立
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2013
「SPR工法」が大河内記念賞を受賞
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2015
「合わせガラス用遮音中間膜」の開発が大河内記念生産賞を受賞
タイで塩素化塩化ビニル(CPVC)樹脂・コンパウンド工場が稼動
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2016
リオデジャネイロ五輪に
女子陸上競技部(セキスイフェアリーズ)の尾西美咲選手が出場大久保相談役デミング賞本賞受賞
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2017
創立70周年
70th anniversaryフィルム型リチウムイオン電池事業を開始
第一弾製品を「スマートパワーステーション100%Edition」に搭載大容量フィルム型リチウムイオン電池の開発・塗工プロセスの開発に加え、新たに電極塗工型絶縁材料とそのプロセス技術を確立し、高安全・長寿命・高容量を同時に実現した。
【フィルム型リチウムイオン電池】
塗工プロセスによる、高安全・長寿命・高容量を同時に実現した大容量フィルム型リチウムイオン電池を開発。定置・住宅用蓄電池分野を第一ターゲットとして事業展開。【バイオリファイナリー(BR)】
ごみ処理施設で発生するガスを微生物によりエタノールに変換する技術を確立。化石資源に依存しない究極の資源循環システムの創生を目指す。 -
2019
【大規模タウン「あさかリードタウン」】
積水化学グループの製品・サービスなどを102品目採用予定の複合大規模タウンを公開。 「Safe & Sound:安心・安全で、環境にやさしく、サステナブルなまち」をコンセプトに、グループの総合力を結集し、地域と社会課題解決への貢献を目指す。(図は全てイメージ)地上部分
住宅
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- 省エネ住宅
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- 木質系住宅
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- 災害時の飲料水を確保
道路・公園施設
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- 化学の力で木陰を作る
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- 災害時,衛生的に利用可能なトイレ
地下部分
水
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- 耐震に優れた水道供給
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- 雨水を一時貯留し、流出を抑制
エネルギー設備
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- 電線を地中化する
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- 耐震・耐久に優れたガス供給
東京本社を現在のオークラプレステージタワーに移転
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2020
長期ビジョン「Vision 2030」(2020~2030年度)
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2021
女子陸上競技部セキスイフェアリーズがクイーンズ駅伝初優勝
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2022
創立75周年