製品開発ストーリー

先進の工業化ユニット住宅
セキスイハイム M1

次世代を担う新規事業

積水化学の創業から21年が経過した1968年、次世代を担う新規事業の柱として「住宅関連事業」への進出が決まった。1960年代は急激な都市化と核家族化の進展で、都市部の住宅需要が急増。「プレハブ住宅」が売り上げを伸ばしていた。そこに着目した積水化学は若手メンバーを中心としたプロジェクトを発足。当初は他の住宅メーカーなどへの部材・設備供給を目的としたものだった。しかし、プロジェクトに参画した社員には「部品レベルの仕事ではなく、住宅全体を手がけたい」「どうせやるなら住宅を狙おう。他にはないもっと合理的なものを」という気運が高まっていった。当時、東京大学大学院の学生で“部品化住宅論”を構想中であった大野勝彦氏がこのプロジェクトに参加。居間、ダイニングキッチン、浴室、寝室などそれぞれの機能を持った部屋(ユニット)を工場で生産し、現場で組み立てるという“ルーム・ユニット住宅”のイメージが固まっていった。開発は急ピッチで進み、1969年12月には早くも試作棟の設計と部材の調達先まで手配が完了していた。

グッドリビングショーに出展されたセキスイハイムM1試作棟

セキスイハイム誕生

国内外のおよそ500社が出展した「第1回東京国際グッドリビングショー(東京・晴海)」にセキスイハイムM1が出展。特に工業化住宅の特設展示場が話題となり、大きな反響を得た。市場調査の結果、販売は最大商圏である東京からスタートした。徹底した合理性と先進的な設備を兼ね備えた「セキスイハイムM1」は、坪単価134千円(当時)という他のプレハブ住宅より2~3割安い価格で住宅業界に登場し、わずか4年で年間の販売棟数は5千棟を超え、その後の住宅事業の基盤を築くこととなった。

1971年2月、東京・神田にオープンしたセキスイハイムの第1号展示場

日本を代表する高性能住宅として進化

1973年の石油ショックを経て、世の中の関心が「量から質へ」と動き、住宅にも多様化・差別化が求められるようになると、さらに意欲的に新製品の開発に取り組んでいった。1975年に、「M1」で制約のあった間取りの自由度、天井の高さを改良した「セキスイハイムM3」を発売。その総合的な居住性の高さがお客様から高い評価を受け、ユニット住宅のさらなる飛躍のきっかけとなった。「M3」シリーズはモデルチェンジを図りながら、セキスイハイム最大のベスト&ロングセラー商品「パルフェ」へと引き継がれていく。以後、商品開発にマーケティング手法を活かし、セキスイハイムは規格型住宅から個性化住宅へと進化していった。1981年以降は、個人のライフスタイルや嗜好に対応する高性能住宅のブランドを次々と開発、外装材の自社開発など住宅まわりも含めた幅広い戦略製品のラインナップを発表していった。
1977年、積水化学は、政府が北米から導入したツーバイフォー工法とセキスイハイムで培ったユニット工法を合わせた「木質ユニット工法」の開発に乗り出す。1981年、東日本セキスイハイム製作所(当時)内に工場を新設。翌年、「ツーユーホーム」と名付けられた新製品は仙台でのテスト販売を経て、1984年から東北エリアを中心に本格的に事業展開、段階的に全国に拡がっていった。以降、木質系ユニット住宅は、鉄骨系ユニット住宅のセキスイハイムと並ぶもう一つの事業の柱として成長を遂げていく。

1982年発売「セキスイツーユーホームA型」

HISTORY
1968年10月 住宅関連事業への進出決定
1969年03月 住宅事業推進本部発足
1970年01月 奈良工場に1次試作棟
1970年05月 滋賀県琵琶湖畔に2次試作棟
1970年08月 初の記者発表を大阪・東京で同時開催、初の新聞広告
1970年10月 第1回東京国際グッドリビングショー出展(東京・晴海)
1971年02月 神田展示場開設(晴海から移築)、セキスイハイムM1発売
1974年 セキスイハイムM1の年間販売5千棟を超える

1975年

セキスイハイムM3発売

1982年

木質系ユニット住宅「セキスイツーユーホーム」を仙台で発売

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