自然に学ぶ研究事例
第110回 | 天然物に学ぶシグナル伝達メカニズムへの応用 |
生物が生産する低分子化合物(天然物)は、特異的な構造を有することにより多様な生物活性を示すものが数多く存在する。古くからさまざまな効能が知られている熱帯性植物のゲットウ(写真左)、変形菌(粘菌、写真右上)や放線菌(写真右下)などの菌類ほか、さまざまな生物が天然物を有する探索素材として研究されている。
生物の体内には、さまざまなシグナル伝達分子(タンパク質)が細胞間や細胞内でシグナル(情報)を変換しながらリレーしていくメカニズムがいくつも存在しています。そして、その情報に基づいて核内で特定遺伝子が転写され、必要とされるタンパク質がつくられて、発生や分化、細胞増殖といった生命活動が維持されているのです。
シグナル伝達分子は、たとえばそうした生命活動のオンとオフをコントロールするスイッチとして働いています。ところが、そこに何らかの異常が発生すると情報が伝わらなかったり、あるいは誤って伝わってしまい、必要なときにスイッチがオンにならない、反対にオフにならないなどコントロールが効かなくなります。その結果、がんやアルツハイマーをはじめとするさまざまな疾病の発症につながるといわれています。
胚の発生・分化、細胞の自己複製、組織再生などの重要な役割りを果たしているのが、ウイントシグナルで、発達シグナルと呼ばれるものの1つです。また、トレイルシグナルは、がん細胞のアポトーシス(プログラムされた細胞死)に関わることも知られています。そこで、植物や変形菌(粘菌)、海藻類などさまざまな生物の抽出エキスから、これらのシグナル分子に作用する天然の化合物(天然物)を探索し、たとえば抗がん剤などの創薬につなげようという研究が注目されています。これまでの研究で、ウイントシグナル阻害物質や、アポトーシス誘導物質などが発見され、構造解析や作用機構の解明も進められています。
たとえば、アオカビからペニシリン、ケシの実からモルヒネ、柳の樹皮からアスピリンなど、さまざまな生物が生産する天然物は、古くから薬として利用されてきました。近年では、香辛料として使われている八角から抽出した物質が、インフルエンザ治療薬の原料となったことも知られています。そして現在、さらなる新しい創薬の基盤として、未利用天然物の研究に大きな期待が寄せられているのです。
石橋正己 教授 千葉大学大学院 薬学研究院 オンリーワンの天然物ライブラリー構築を目指す |