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【Column】私の卓球人生を変えてくれた存在。同い年のライバル達/早田ひな
December 16, 2021
ライバルの存在をどう受け止めるか。
それは、その人自身の性格によります。
仲間と捉えて、技術を高めあうのもよし。
倒さなければならない相手として、競争心を掻き立てるもよし。
ただ、ひとつ言えること。
良いライバルの存在が、
自分自身を引き上げてくれるのは間違いありません。
早田ひな選手の卓球人生に欠かせないのが、素晴らしい実力を持った仲間でありライバル。
伊藤美誠選手や平野美宇選手の存在です。
しかも、全員同じ2000年生まれ。卓球界を牽引する「黄金世代」とも呼ばれます。
ただ、早田選手は他の二人と、成長曲線が違いました。
小学校時代は「伊藤選手・平野選手に追いつくために、とにかく頑張っていた」と言います。
思い切り球を打つ感覚がめっちゃ楽しかった
4歳で卓球を始めた早田選手。
先に初めたお姉ちゃんの迎えについて行く形で、興味を持ちました。
卓球場の先生に「小さい時から始めたほうがいい」と言われて、
楽しそうだから始めた卓球。
最初は、ボールを打つ感覚が純粋に楽しかった、と言います。
「今でもそうですけど、ボールを力強く飛ばす、思い切って球を打つ感覚がめっちゃ楽しかったんです。最初は台に入らず、ほぼ全部ホームランでしたね(笑)球が飛んでいく感じが好きなんです」
その才能は、今までコーチを続けてもらっている
石田大輔コーチ(ミズノアドバイザリースタッフ・日本生命)によって磨かれていきました。石田コーチは彼女の球威を活かしつつ、フォームや足の使い方は当然。
何本続けて入るまでゲーム形式の練習や、
試合終盤を想定して得点状況を変えて打つなど、
工夫した練習メニューを早田選手のために考えてくれました。
その結果、イヤになりがちな練習への取り組みも、「今日も楽しかったー」と思って本人が家に帰るぐらい、充実したものになったと言います。
その成長の中で意識する存在だったのが、同い年の伊藤美誠選手、平野美宇選手です。
築かれていった信頼関係
小学校時代は、全国大会で結果を出し続けられるタイプではなかった早田選手。
一方で同世代二人の勢いは、全国的にも有名でした。
「当時は、実力的に向こうの方が上という意識が強くて、話したことはなかったです。小学生でも強いと選抜されて試合に呼ばれたりしますが、そういう合宿にも行ったことがなかった。試合はみんな勝ちに来てるから、あまり接点もなかったです」
それでも、小学校高学年になって少し話すようになり、
中学校時代は早田選手も全国中学校卓球大会2年連続優勝など全国クラスの選手に。
次第と2選手との距離も縮まり、中学・高校では日本代表チームの一員として
共に活動するなど、信頼関係を築いていきました。
特に、早田選手&伊藤選手は2017年以降ダブルスを結成。
2017年アジア選手権女子ダブルス、日本女子16年ぶり銅メダル。
2018年ITTFグランドファイナル優勝。
2019年世界選手権48年ぶりの銀メダルと、たくさんの記録を打ち立ててきました。
伊藤選手との関係性について、早田選手は「2017年からダブルスを組んだのですが、色々な技術の共有や試合中も励ましあいながらやってきました。時にはライバルになったりして、一緒に頑張ってきた関係です」と語ります。
多分卓球人生が終わるまでずっと3人で
だからこそ東京オリンピックでの伊藤選手の活躍は、
自分にとって大きな喜びと刺激になりました。
「やっぱりオリンピックで伊藤選手が戦っている姿を見ると、自分も頑張らなきゃいけないなって思う。私が見ていた中でも、凄い練習量をこなしていましたが、多分それ以上に伊藤選手は頑張っていた。だから、金・銀・銅のメダルをそれぞれ、一個ずつ獲得できたんだろうって思います」
「パリオリンピックで金メダルを取るには、あれ以上の努力をしないといけない。同年代だからこそたくさん刺激を受けるので、もっと頑張っていきたいし、多分卓球人生が終わるまでずっと3人で切磋琢磨していくんだろうなって思います」
幼いころから共に、苦楽を共にしてきたライバル達。
早田選手にとってそれは、お互いを高めあえる存在です。
「それこそ小学生の時には、歯が立たないぐらいのレベルの差でした。でも、ここまで切磋琢磨して、一人が結果を出したら二人は頑張って、どっちか二人がまた結果を出して…を繰り返してる。そうやって強くなっているから、二人の存在は私にとってめちゃくちゃ大きかった。私の卓球人生を変えてくれた存在だと思います」。
彼女たちがいる限り、早田選手の成長は止まることがないでしょう。