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【Column】「今までの人生で一番大きな挑戦だった」13日間。悔しさを糧に、変わらなければいけないと思った瞬間/早田ひな

February 17, 2021

「今までの人生で一番大きな挑戦だった」13日間。悔しさを糧に、変わらなければいけないと思った瞬間/早田ひな|SEKISUI×SPORTS「挑戦のTASUKI」|積水化学工業株式会社

「失敗は成功のもと」。世間では、そう言われています。
でも、できれば失敗したくない。そう思うのも人の常。

ただ、いつの日も、大きな挑戦は失敗の後に来るもの。
その悔しさは、成功に向かう大きな原動力になります。


2019年、日本の卓球界では、歴史に残るほど熾烈な
東京オリンピック出場権争いが繰り広げられました。

日本卓球協会は、2020年1月に発表される世界ランキング上位2名を、
卓球女子シングルス日本代表に選出する方針を発表。

これによって、2019年の国際大会の戦績ほぼ全てが反映される
過酷な日本代表選考レースが展開されることになったのです。


今思うと相当過酷な時間だった

早田選手は一年間、とにかくランキングを上げるために、試合を求めて転戦。
試合が終わったら、すぐまた次の試合に気持ちを切り替える。
そんな日々が続きました。

「今思えば相当過酷な時間だったな、と。あの時は本当に1試合1試合のことしか考えていなかったので、どんなに移動距離が長くて大変でも、順位を上げるために必死で頑張っていました」

しかし、全員その努力が報われるわけではありません。
結果的には早田選手は、リザーブでの大会参加が決まりました。
それでも彼女は、前を向きます。

「でも、その頑張りとか、それだけ頑張っても結果が出ない悔しさがあったからこそ、今があると感じています。悔しさをバネに課題に取り組んだり、なかなか変えられなかった自分の卓球を思いきって変えたり。そういった変化に繋がっているので、あのオリンピックレースに参加できたのは、自分にとってすごく大きなことでした」


今までの人生で一番大きな挑戦だった

その東京オリンピック代表発表があったのは、2020年1月6日。
そして、それから13日後の1月19日。
国内最大のタイトル、全日本卓球選手権が行われました。

この大会のシングルスで早田選手は、準決勝で大会2連覇中の伊藤美誠選手を撃破。
決勝で石川佳純選手に勝利。ついに、念願の初優勝を飾ります。
この期間こそ、「今までの人生で一番大きな挑戦だった」と早田選手は語ります。

「オリンピックの選手発表が終わって、全日本まで10日間くらいしかなかったんです。でも、全日本で優勝するために、一から頑張りたくて、思いっきり自分の卓球を変えた。結果がどう転ぶかわからないけど、とにかくチャレンジしてみよう。やってみたいと思ったのが、その期間ですね。自分の中で一番、色々なことを変えた10日間だったと思います」

思い切った挑戦を選んだ早田選手。
結果的にその決断が功を奏し、手にした初優勝。
頂点に立った瞬間、座り込んだ早田選手の目には、大粒の涙が光りました。

「ホッとした感じ、やっと結果が出たなっていう気持ち。色々な感情がありました。ずっとついてきてもらった(石田)大輔先生、トレーナーや練習相手の方。皆さんに、やっと優勝できて少しだけ恩返しできたのが良かったです」


目の前の試合を大切に。一歩ずつ

様々な挑戦・失敗を繰り返して、その度に成長してきた早田選手。
ここまでの卓球人生を支えてくれている、積水化学グループへの感謝も忘れません。

「積水化学さんには本当にたくさんサポートしていただいて、部屋の床で体を冷やさないようにと、イ草の畳をご提供いただきました。家でケアしてもらう部分は少し軟らかめに作ったり、座るところは普通の畳の硬さにしてもらったり、本当に細かい工夫をしてもらいました。卓球や身体のことを考えてサポートしていただいているので、結果で恩返しできるように今後も頑張っていきたいです」

今後の目標として。次のオリンピック出場もありますが、まずは一歩ずつ。

「今はあまり先のことは考えていなくて、本当に目の前の試合を大切に。オリンピックの次はアジア選手権。その次は世界選手権と、試合が終わったら次に切り替えて頑張っているところです。そういった一つひとつを乗り越えた先に、五輪があると思うので、その一戦ずつを目標に、結果を出せるよう頑張っていきたいです」

たくさんの悔しさを乗り越えて、その度に強くなってきた早田選手。
その未来は、今よりもっと明るく、光輝いているはずです。