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【Column】「答えがない卓球」に人生をかけると決めた日/早田ひな
June 2, 2022

早田ひな選手が卓球に人生をかける決心をしたのは、いつのことだったのでしょうか。
4歳から卓球を始め、小学生時代は全国大会優勝こそなかったものの、上位に進出していた早田選手。初めて全国優勝したのは、中学1年の全国中学校卓球大会でした。
それでも、卓球に人生をかける考えはなかったと言います。
「結構勉強が好きだったんです。成績はわりと良い方で、学年で6位とか上位にいました。数学はあんまり…ですけど社会とか。英語は海外遠征で使うので、なんとなくわかってて。ただ、国語は私、日本語がおかしいタイプなので(笑)、そんなには良くなかったです」
“日本語がおかしいタイプ”という表現にも見られる独特の言語センスは、早田選手が誰からも愛される要因のひとつに思えます。
しかし、卓球に勉強に頑張っていた早田選手に転機が訪れます。
「勉強は答えがあるのに、どうして卓球には答えがないの?」
「中学2年のときに、2週間ぐらいの海外遠征が何回か入って、授業に出られないことがあったんです。その後のテストで全然点が取れなくて。もう50点とか40点しかとれない」
早田選手はお母さんに「勉強もしたい」と言いました。勉強なら努力すれば必ずできる。そこには必ず答えがあるから。しかし、卓球には「こうすればいい」という答えがありません。複雑多様なスポーツである卓球では、すべての選択が正しいとも、誤りとも言い切れないのです。そして試合は、結果だけが評価されます。
「勉強には答えがあるのに、どうして卓球には答えがないの?」
そうした疑問をお母さんに突きつけることもあった早田選手でしたが、すでにそんなことを言い続けられない立場になっていました。日本卓球界の将来を担う逸材と、期待され始めていたのです。
「もう自分には卓球しかないんだなって。卓球で生きていくっていうか、世界を獲れるのは卓球しかないんだなって思いました。それで、しっかり卓球頑張ろうって思いましたね」
もともと足は速かったという早田選手。特に長距離が得意でした。だいたいの球技は人よりできたそうですが、意外にも不器用なのだそうです。
「プレー見ててわかりませんか?(笑) 足とか出そうと思った方の反対の足を出したりするんです。チキータ(バックハンドの攻撃的打法の一種)も、自分に向いてないやり方をしていたことが最近わかった。スピード系よりも、回転系の方が自分に向いているなと思いました」
中学2年生で卓球に人生をかけることを決断した早田選手ですが、もしも卓球をしていなかったらどんな人生だったのでしょうか。
「スポーツだったら、母がバレーボールをやっていたのでバレ―ボールをやらされていたかな。この身長だったら日本代表の中では小さい方ですけど、ジャンプしてたら伸びたかもしれませんし。上に行くメンタルは多分持っているので、そこそこ行ってたかなって思います。負けず嫌いなので」
「卓球が楽しくてたまらない」ながらも…
普通の人なら、働き出してから直面する「答えのない」世界に、幼い頃から挑んでいる早田選手。やりがいがあると同時に苦労も並大抵のものではなかったはずです。将来、自分に子どもができたときに卓球をやらせたいと思っているのでしょうか。
「子どもがやりたいって言ったらしょうがないと思うかもしれないですけど、あんまり…ですね。ダンスとかやらせたいですね。リズム感とか身体をどう動かすかって凄く大事だと思いますし、他のスポーツを始めたときに何にでも活きるだろうなって思いますから」
「卓球が楽しくてたまらない」「卓球の面白さをみんなに伝えたい」と言う早田選手。それでも自分の子どもに卓球をさせることに躊躇を覚えるのは、その楽しさ、面白さの裏で経験した大変さを知っているからなのでしょう。
Text by 伊藤条太
