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【Column】辞めようか、そう思った時、支えになったもの/内山靖崇

March 17, 2022

重要なのは「自分の限界を作らないこと」。弱気になっても諦めなかったから見えた未来/内山靖崇|SEKISUI×SPORTS「挑戦のTASUKI」|積水化学工業株式会社

人の意識は、そう簡単には変わりません。
では、変わるのはどんな時でしょう。

それは挫折、失敗を経験した時です。
そして、その壁を乗り越えた経験は、
長く自分の人生を突き動かす、動機にもなるでしょう。


13歳でアメリカに渡り、名門IMGアカデミーで
人生をかけてテニスに取り組んだ内山靖崇選手。
たくさんのハードルを、悩みながらも乗り越えてきた彼。

しかし、日本に帰った直後に待っていたのは、挫折の時でした。


そのタイミングで、テニスをやめる可能性も十分あった

フロリダにあるIMGアカデミーに中学一年生で入学して4年。
最初の一年など成果の出ない期間もありましたが、
「どんなに大変でも前に進むしかない」との気持ちで、毎日成長できた日々。
しかし、終わりの時はやってきます。
それは高校1年生から2年生になる前のタイミングでした。

留学の奨学金制度が一年更新で、
継続するために課題を課せられた内山選手。
ただ、その年に足を疲労骨折して、
3ヵ月ほど全くテニスができない状態となってしまいます。

練習不十分な状況の中で、迎えた大会。
4試合の勝利で目標クリアとなるところが、4試合ともフルセットで敗北。
留学自体を終えなければならなくなったのです。

「日本に帰るというのは僕にとって北海道に帰るということ。北海道は日本国内で考えてもテニスが強豪とは言えない地域で、このまま戻っても、プロを目指す環境を整えるのは難しいだろうと思っていました。そのタイミングで、テニスをやめる可能性も十分ありました」

自分が目指していたものを続けられなくなった時、
その意志は、折れそうになってしまったのです。
それでも、その状況を抜け出すチャンスをくれたのは、
自分を支えてくれる周囲の人々でした。


コーチとの運命的な出会い

「テニスを始めたばかりの頃、コーチの増田健太郎さんが札幌に来たんです。そのプレーを見て、『プロ選手ってすごい。将来いつか自分もプロになりたい』と夢を見ました。その増田健太郎さんにこのタイミングで出会って、プロへの挑戦をサポートしていただけることになったんです。札幌から東京に行って、ナショナルトレーニングセンターで日本のトップ選手と練習できる環境を整えていただきました」

自身が憧れた選手との再開。
「それがなかったら今プロで活動していることは100%なかった」と
内山選手自身が語る運命的な出会いが、彼の夢を支えたのです。


その後も、「正直、簡単には前向きにはなれなかった」と語る内山選手。
ただ、コーチの明るさに救われて、文句も言わず相手をしてくれた
日本代表クラスの先輩方の存在に勇気づけられ、
次第に心もポジティブになっていきました。

先輩方に引き上げられて、強くなった自分。
それが自信となり、「日本に帰っても俺はまだまだやっていけるぞ」という
気持ちになったのです。


自分の名前を冠した『Uchiyama Cup』開催の想い

そして2011年のプロ転向後。
目標としていた世界ランキング100位以内を達成し、
世界最高峰の4大大会にも参戦。
内山選手は日本代表にも名を連ねる、日本トップクラスの選手になりました。

そして2020年、故郷の札幌でひとつの大会を開催することになります。
その名も『Uchiyama Cup』。
現役引退後の選手が自身の大会やアカデミーを開くことはありますが、プレイヤーとして
活躍しながら大会を主催するのは、珍しいケースです。
そこには、彼なりに込めた想いがありました。

「僕がテニス始めた頃、コーチの増田さんが札幌に来てエキシビションマッチでプレーしているのを見て『プロになりたい』との思いを抱きました。今の北海道のジュニア選手たちに同じような体験をさせてあげたいなという想いが、開催を決めた理由です。それと同時に、コロナ禍で日本選手たちは、満足に試合ができなくて、プレーするためにアフリカまで行かなければならない選手もいた。そういう選手たちの苦しい状況を、選手会会長の立場から見て何とか変えたいと思ったんです」

大会は無事、盛況で閉幕。
そして今後もテニス界の発展を目指し、「Uchiyama Cup」を国際大会に、
全国で5大会開催を目標に活動を続けていきます。
内山選手が目指すのは、この希望を後進に受け継いでいくこと。

「子どもたちに未来の可能性を広げて欲しい、プレイヤーの短い選手生命をできるだけ輝くものにしてあげたい。それを次世代に繋げていく。そんな想いは、常に持っています」

自分が受けた感動を、次の世代へ。
内山選手のビジョンは、未来に向けてより大きく広がっています。